2nd THIS IS IT
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営業が終了した、12月16日は23時のaスタジオ。
音響エンジニア増旭(ます・あきら)さんとサウンド・スペース・コンポーザー井出祐昭さんが集い、この度のセカンドランに際して「何を行うのか」が発表される。
それは「歌を引き出すこと」
あくまでもリハーサルの個人的な記録として撮影されたものが元になっている『THIS IS IT』は決して「良い素材」ではない。
にも関わらず、単に「大きなヴォリューム」や「重低音」でそれらしく仕立てたのとは別物の「LIVE感」を引出したのがファーストランであった。
今回はその上に、マイケルの透きとおるような高音をきらめかせようといういうのだ。
そして井出さんの言葉は続く。
「歌、だけでなく、マイケルの精神のようなものを引き出したい」
精神!
これが井出さんの立っているステージだ。ごく当たり前の音響家とは、見通す景色が違う。
…だが、いったい「精神」とは何なのか?
このヴィジョンに従って、井出さんと増さんとの、言葉数は少なくとも以心伝心な打ち合わせが行われる。やがて劇場の灯りが落ち『THIS IS IT』の上映が始まる。
3回鑑賞し、今も耳奥に残るファーストランのサウンド。
だが、飛び出してきた音はいきなり別物だった。高音がキリッとして、天井を抜けるようにして鳴る。「HUMAN NATURE」の「why why」のハーモニーがまるで微風が白い羽を宙に舞わせたように、天井から静かに降ってくる。
上映を続けながら、どんどん手が加えられていく。
センターがせり出してきて、サラウンドと綺麗な音のドームを描き始める。
ベースギターの弦を強く弾く音が、バキバキ鳴って踊り出さずにはいられない。
時にはわざとヴォーカルを小さくして他の音を聞いたりと、通常の上映ではありえない、表情をコロコロと変えるサウンドに、剛山はすっかりハイテンション。
サウンドチェックだというのにがまんしきれず歌い出すわ、指鳴らすわ。
上映が終了して、いやあ、凄いモノが出来たと一同集合。
だが井出さんが「問題点があったら今のうちに言ってください」となにやら不満気な顔なのである。
全員が黙り込んでしまう。
え? こんなとてつもない迫力と、澄んだ美しさが同居するクオリティのどこに問題が?
大満足であります、今日はどうもありがとうございました…と言おうかと思ったその時、井出さんと目があった。
「剛山君、どうでしたか?」 |
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なぜど素人の僕に聞く? 映写技師だっているのに。そもそも全然まじめに聞いてなかったのに…。
「いや…あの、なんか[HUMAN NATURE]とか、天井に穴があいたみたいにキレイに抜けて聞こえて、気持ち良かったですよ…」
しどろもどろ。みんなの視線が痛い。いや、そういうことじゃなくて、という感じで井出さんにあしらわれ、微妙な空気になったためそのまま休憩へ。
剛山、呆然となる。
しばらく後、2度目の上映をスタートした。
驚いた。一度目とは聞こえ方がまたまるで違うのである。なんというか、音の広がり方がスゴイのだ。
贅沢に、目を閉じてみる。するとあたかも、スタジアムにいるような気分にさせられる。
井出さんと増さんは、劇場のあらゆるところで聞こえ方をチェックしていた。
ど真ん中、壁際、最前列、最後列。すべての場所で、最上でなければならないからだ。そしてこれは、作業が最終段階であることをうすうす感じさせた。
2度目の上映は、途中でストップ。
だがそこにいた誰もがわかっていた。「作品」は完成したのだ。
時計の針はまもなく5時を指そうとしていた。
「どうですか?」
と井出さん。でも、今度は、結局また一緒に歌ってしまった僕にもちゃんとわかった。
「やわらかな薄い布が掛かったようでした!」
劇場の物理的な壁を抜け、「映画音響」という概念的な壁を壊して、マイケルが今までLIVEを行ってきたスタジアムレベルにまで音響空間を広げた上に、最後の仕上げとして、そのすべてを女神がまとうようなヴェールで、そっと包み込んだのである。
つまりこれが「精神」と井出さんが呼んだ「音調整の先にあるもの」の答えなのだろう。最後の最後に引き出されたのは、穏やかな抱擁だった。胸が痺れるような感覚。
もろもろを片付けながら僕は井出さんに尋ねた。この「作品」の名前は何にしましょう?
「君に任せるよ」
嬉しかった。思いつくのに、そう時間はかからなかった。
熱狂と興奮をはらみつつ、やはりマイケルの「精神」を引き出せる言葉。
INVINCIBLE SOUND (インヴィンシブル・サウンド)
それは、マイケル最後のアルバムのタイトルである。
その意味はといえば、「無敵」。 |
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