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スモーキン・エース/暗殺者がいっぱい

監督■ジョー・カーナハン(『NARC ナーク』)
出演■ベン・アフレック(『パールハーバー』)
■■■レイ・リオッタ(『ハンニバル』)
■■■アンディ・ガルシア(『オーシャンズ11』)
配給■UIP映画
    公式HP こちら

 地味ながら光るサスペンス『NARC ナーク』で頭角を表し、トム・クルーズが『M:i:3』の監督に抜擢するということで有名になった(結局この話は流れたが)、ジョー・カーナハン監督最新作。
  マフィアから100万ドルの賞金を賭けられたマジシャンを狙って、凄腕の殺し屋が集結する、クライム・アクション・ムービー。この設定からコメディを想像するが、意外にコメディっぽさは控えめ。ハードでスピーディに目まぐるしく展開していくストーリーに翻弄される。
  ハリウッドの次なる才能の元に集まったのはベン・アフレックにアンディ・ガルシア、レイ・リオッタと、豪華な俳優たち。他にも音楽界からR&Bシンガー、アリシア・キーズが参加。スーパークールな女殺し屋で観客を魅了する。
  クエンティン・タランティーノ、ガイ・リッチー、スティーヴン・ソダバーグ、ブライアン・シンガーという名前に激しく反応してしまう人向けの物件。『悪魔のいけにえ』ばりのチェーン・ソーに、ほとんど大砲みたいなバレットM82A1 50口径ライフル、『タクシー・ドライバー』みたいなシャツの袖から飛び出す仕込み針なんて武器が、続々登場!
 

 とにかく過剰。この過剰さを受け入れられるかどうかが、この作品の気に入るかどうかに掛かっている。
  登場人物はすぐキれるネオナチ3兄弟に、レズっぽい女2人組殺し屋、ルパン三世並にゴムマスクで変装して別人になる殺し屋に、そもそも狙われているヤツがラスベガスの人気マジシャンでいつもトランプ手品をやっている、という案配。このほかにも濃いヤツばかりむやみに出てくるのだから、味付けも人数も盛り込まれるエピソードも確実に過剰。
  この細部の過剰は、実は邦画の影響ではないだろうか? 例えば石井克人監督の作品とか(『鮫肌男と桃尻女』『パーティ7』)、劇団大人計画絡みの作品とか(『真夜中の弥次さん喜多さん』『恋の門』)、他にも中島哲也監督作もそうだろう(『下妻物語』『嫌われ松子の一生』)。
  伝統的な方法論からしたら、脚本が破綻している、という一言で終わってしまうかもしれないが、例に挙げた監督たちが一定の人気とわりに高い評価を得ていることを考えると、こういう映画のつくり方もありだということである。つまり、全体の整合性よりも細部の充実、瞬間の面白さを重視するという作り方。
  確かに、あとあと記憶に残るのは、映画の全体より印象的な細部なんだよなあ。  

上映時間は>こちら

『北斗の拳 ラオウ伝激闘の章』
『ブラッド・ダイアモンド』

 

『主人公は僕だった』 『リーピング』
『パッチギ LOVE&PEACE』
『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』


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第1弾は2大オスカー女優が激突! 昼メロ的女の欲望ドロドロ系サスペンス!! これはホントに面白コワい!

そして第2弾は『魔笛』。
シネマシティが誇る 世界最高クラスのサウンドシステムで味わう、「神の子」モーツァルトによる天上の音楽
 

この後も世界中の素晴らしい作品を次々と上映!! 「映画ファンのための映画館」シネマシティに乞うご期待!



vol.21 『A.I.』 愛の探求 その2


 さて、前回ではロボットに「心」はない、ということをクドいほど確認した。問題は、「心」などあるはずもないにも関わらず完璧に人間同様に振る舞った場合、人はそこに「心」が芽生えた、と思ってしまうということなのだ。なぜなら、人は何かを認識する時に、身体を使ってするよりなく、「心」が直接に他人の「心」を知ることはできないからである。

 ここからいよいよ本作の本質的なテーマに進んでいくのだが、では、「心」が無い、とはどういう状態を指すのだろう?
 考えることができないということか。いやいや、それはコンピュータでもできる。見る、聞く、嗅ぐ、味わうも、全て何らかのセンサーで可能だろう。では感情は? ということになるが、これは「心」と密接に結びついている要素ではあるが、しかし、それを他人に伝えるためには言葉や身振り、表情でしか表現できない。
 『A.I.』の主人公デイヴィッドは、泣き声、表情どころか、リアルに涙も流すのだから、人が「感情がある」と認識するのに必要な条件はすべて満たしてしまっている。

 にも関わらず、僕らはデイヴィッドに「心」がない、ということを理解できる。このようにパーフェクトに感情表現をこなすロボット、というものを想定することができる。ということは、「心」というものにとって感情は分かちがたいが、決定的ではない、と言えてしまうだろう。

 では「パーフェクトに感情表現をこなすロボット」に足りないものは何だろう? コレが欠けているからこういう想定が成り立ってしまう、のコレとは?

 すぐに思いつく答えは「自由意志」じゃないだろうか。ロボットにできないのは、命令を受けることなしに行動を起こすことだ。自らの意志で判断、決定し、目的を定め行動するというものには「心」がある、としかいいようがない。というより、それを「心」と僕らは呼んでいるのではないだろうか?(ただ、僕らが「心」というものを思い描くとき、そこには「命」も含まれていると思う。意志とか感情の奥の、さらに核となるものとして。もちろん不可分ではあるのだが、ただ、ここでは「命」はあえて分けて考える)

 デイヴィッドが最初に、最も「人間」に近接するのが、夫婦の実子マーティン(歩行補助具をつけた彼こそロボット的である皮肉!)が、食事の際に食べてみろ、とからかって、それに腹を立てて故障をまぬがれないはずにも関わらず、口に食べ物を入れてしまう場面だろう。ここは非常に重要な点である。つまり、このロボットには恐るべきことに、場合によっては「自殺」を選択できる権利を与えられているということなのである(後半、海に身投げする場面もある)。この究極の自由を手にしているデイヴィッドには「自由意志」がある、と言えるのではないか。すなわち「心」があると!

 …そう言いたくなるが、ひとつ深呼吸でもして落ち着いてみる。「自殺/自傷」は本当に究極の自由なんてものなのだろうか?
 よく考えてみると、デイヴィッドの場合「自殺/自傷」はそれを意志したというよりも、結果そうなったと見るほうが正しいだろう。
 食べ物を口にしたのは、母の愛を勝ち得るため、マーティンに負けまいとしようとした結果であり、海に身を投げたのは、母の愛を勝ち得るという目的を達するための可能性がついえたため(存在意義の消滅。デイヴィッドは子を失いかけた母親を慰めるためのペット〈代替物〉なのだから)である。

 と、いうことはだ。一見自由意志の最高の発露に見えた「自殺/自傷」の行為も、さらに上位優先プログラムである「登録者に愛されるよう行動する」というコマンドの下での行動に過ぎないというわけだ。この至上プログラムのために「学習」し「推論」をして行動(動作)するというのがそもそもの「Artificial Intelligence」(人工知能)という機能である。まさしくデイヴィッドは「A.I.」として間違いない行動を取ったにすぎない。

 …すぎない? ならばこの映画は何が言いたいのだろう? 機械はどこまでいっても機械であって、人間にはたどり着くことはできない。素晴らしきは、人間の精神なり!
 否。こんな感想を抱く人はいるまい。今作がどうして精神の自由をうたいあげる凱歌に聴こえよう。どう聴いてもこれは哀歌ではないか。でも、何を嘆いているのか?


 僕らは、意識的、あるいは無意識的に気づいている。この精巧なからくり人形は、僕らそっくりじゃないか、と。
 幼いころにすりこまれた「登録者」の愛を得るため「だけ」に生きている、僕らもまたひとつの生ける機械に過ぎないのではないか、と。

 「大いなる最初の愛」を得るために、知識や技術を求め他者(ここには親兄弟も含まれる)との差別化を図ろうとし、手にできない代償として別の似た男性/女性をパートナーに求める。この「至上のプログラム」は成長とともに意識の奥底に沈んでいってしまうが、しかし、人生のあらゆる選択に影響を及ぼしているのではないだろうか。
 このことは、僕らが10歳のころから本質的には何も変われないことをも示している。ただ「学習」したことが増え「推論」が上手くなっていくだけで、至上のプログラムは、生涯変わることはないだろう。
 僕らの精神だって、この行動決定の上達があたかも自由意志のように見えているだけではないだろうか。僕らに本当の意味で自由なんて許されていないのでは?

 今作は大きく3つの場面に区切られている。「デイヴィッドが家庭に入る場面」「家から追い出されて、それでも愛されようとさすらう場面」「氷河期を迎えた遥か未来」。これはすなわちデイヴィッドの少年期、青年期、老年期に相当する。だが僕らの成長しない「心」を体現するように、彼は少年の姿のままである。

 家を追い出され森にさまよい、だが自分は特別な存在だからママに愛されるんだ、人間になれば、また家に戻っていっしょに暮らせるに違いない。デイヴィッドはそう思って行動していくが、やがて自分と同じ型のロボットが何体も並んでいるのを目の当たりにして、自分が「大勢の中の一人」であることに気づいてしまう。自分は少しも特別な存在じゃない、これでは愛されない…。
 
 実際に僕自身、いまだこの社会に出て誰もが直面するショックから立ち直り切れたとは言い難い。いくつになっても凡庸な自分を肯定しきれずにいる。
 デイヴィッドはすがるように「青い妖精」を求める。最後の救いがここにあるかも知れない、と。そして僕は「映画」を求め続けている。
 
 長い年月が過ぎて、新しい世代によってデイヴィッドは眠りから起こされる。目の前で無惨にも砕け散る青い妖精。当たり前だ。偽りの偶像(幻想)に、真の価値などない。

 ではデイヴィッドの生涯は、無価値だったのか?
 それに答えを出すのは簡単ではない。ただ、ひとつ言えるのは、彼があがいて求めた、その「過程」は真実であり、次の世代へと譲り渡されたということだ。いつの時代もこれは老人の重要な役割。

 デイヴィッドは最期、死の床で夢を見させてもらう。それは自分と母親しかいない世界、すなわち子宮の中だ。
 彼はひたすら忠実にプログラムのままに行動してきた。最期の最期まで。そしてどこにたどり着いた、というでもなく、ただ元の場所に帰ってきたというわけだ。母親と戯れるためだけに。
 なんという愚かな人形だろう。哀歌は、この何も果たし得なかった機械を嘆いて流れる。

 だがしかし。

 僕は考え続ける。このロボットと自分との本質的な違いについて。
 僕は考え続ける。「愛」が単なるプログラムであるはずがない、と。
 しかし、決定的な証拠は、いまだ見つかっていない。
 


  始まりました、カウンシル第18回目投票は、ここのところ候補作品も、新しく始めようとしている「シネマシティテーク」も女性向けに偏っていましたが、男性のことも忘れちゃいません! 男と言えば、殴りあいか、成りあがりってなもんで、今回はアメリカの最下層の生活からはい上がった、Hip Hopミュージシャン映画をフィーチャー。
  これは熱い! 3本とも甲乙つけがたい傑作! 出来るなら全部上映したいところですが、ストリートの現実はそんなに甘くないのです(笑)。
  現在のところ、なんともっとも知名度が低く不利と思われた『ハッスル&フロウ』がトップ! これ公開当時は(たしか)レイトショーのみの上映だったんで、選ばれたら初の昼日中上映です!! 快挙!! 
  まあB-Boy(これまだ有効な言葉でしたっけ?)たちはシネマシティズンには入ってないでしょうけど、上映したらぜひ来て下さい! …ってSEEKも読んでないか(笑)。

 そして、急きょの上映となってしまいました17回選出作品『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』。なんと今週末からのスタートです。大変申し訳ありません。せっかくの素敵な作品ですのに、告知も不十分な形での上映となってしまい反省しきりです。急なことでスケジュールの調整がきかなくなった方もいらっしゃると思います。今後このようなことがないように改善していきます。
  『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』、なんとかそれでもお越し下さいますよう、どうぞお願いします!
5/19〜25 の上映です。

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僕の「万年筆物語」その5

 すごく久しぶりにまた万年筆の話を。

 デスクペンに、パイロットのボーテックス、LAMYのサファリなどの廉価なモノを経て、ついにちゃんとした「金ペン」(ペン先が18金でできているもの。柔らかさが違う)を購入したのである。最初のペンは「クロス」の「タウンゼント スターリングシルバー」であった。ペンは金で軸は銀というとなんだか成金趣味みたいだが、キャップのなだらかなアールデコっぽい流線型デザインが優美かつ(僕にとっては)どことなくユーモラスなのがいい。
  僕がコレに決めた理由はいたってシンプル。詳しい方ならすでにニヤリとされてるかも知れないが、クロスのペンはなぜかインターネットで上手く探すと、定価の半額くらいで買えるのである。
  まだアルバイトだった僕が、定価5万円のペンを手にできるとすれば、これしかなかったのである。金ペンで、かつスターリングシルバーのこの抗いがたい魅力! そして軸に細く入ったストライプのインテリジェンス。ペン先に入った模様の優美。
  もうダメだ! 万年筆は個体差が激しいから、必ず試し書きしてから買うべし、なんて掟は知らなかったことにしよう! 
 
  もうこれさえ手に入れられれば、人の心を震えおののかせる、すごい小説が書けるに違いない。人一人窒息死させるほど爆笑のエッセイが書ける自信がわいてくる。このペンさえあれば、人生の何もかもがうまく回り出す気がしたのだ。車を買えば、女の子がわさわさ寄ってくると考えるバカな若者の心理とまったく同様である。

 結論から言って、そのようなことはひとつも起こらなかった。スゴい小説も、シナリオも書けずじまいだし、誰かを爆笑エッセイであの世へ誘うこともまだできていない。
  それでも、このペンにはひとつだけ、物語がある。

 それは国立の大学通りにあるモスバーガーで原稿を書いていたときのこと。このモスバーガーは実験店舗で、モスが新しいことを始めるときにはこの店からスタートさせるのだ(全部じゃないだろうけど)。うさぎのミッフィの産みの親、ディック・ブルーナのイラストが店内にあふれていて、素敵な感じ。…全然この話とは関係ないけど。
 
  で、僕はこの店に何時間もいる迷惑なお客の一人だったわけだ。茶色のインクを入れたタウンゼントをキラキラさせながら一人悦に入っているという大変にマニアックなスタイルで執筆を進めていたのだが、ちょっとペンを置いて気を抜いた瞬間に、ふたつ並べたテーブルの隙間にペンが落ちてしまったのである。
  青ざめてすぐに拾ったのだが、これが無惨にもペン先が曲がってふたつに割れたようになってしまったのだ。…なんてことだ。18金だよ。
  執筆に行き詰まっていたこともあって、僕は惨憺たる気持ちで、店を出た。

 次の日、すぐに伊勢丹の丸善に持って行った。そして衝撃の事実。修理代2万5千円也。僕はそのとき初めて知ったのだったが、 万年筆というものはペン先だけで全体価格の半分もするものだったのだ。つまりこれ、ほぼ買った値段である。
  大変に落ち込んで、しかし、一度出会ったペンをこのまま見捨てるわけにはいかないという義侠心から修理をお願いした。

 仕方なくまた廉価なペンに持ち替えて執筆を続けたが、安いペンから生まれるものは安い文章にしかならず、結局その原稿は上手く仕上げることができなかった(我ながらひどい言い訳)。
  なぜ仕上げられないのだろう? 僕は「選ばれし人間」じゃなかったのか。勝手に肥大した自我と、現実の結果との差違に自己嫌悪に陥ったまま、1週間がまたたく間に過ぎた。

 財布に2万5千円を入れて、修理が終わったペンを取りに行く。
  姿を取り戻したペンを見れば、少しは気が晴れるかも知れない。受付の紙を出し、こちらでお間違いないでしょうか、と見せられたペンは、新鮮に輝く、真新しいペン先と交換されていた。
  一度曲がったペン先はそう簡単に元に戻せるものではないのだろうか? 少しもインクの汚れのない美しい金色と銀色が絡み合ったペン先をうっとりと眺めながらしかし、すぐに直面せねばならない「現実」の用意をした。
  間違いありません、とうなずくと、一枚の紙を渡された。その修理票には「ペン先交換」と書いてあった。そして、その下段にはなぜか0円と書かれてあった。

「え? あの、これ…」
「クロスの商品は、永久保証なのです」

 そんなバカな。僕はちゃんと落としたからこうなったことを説明したのだ。どこの保証が過失による破損を含むというのだろう。あくまで機構上の永久保証のはずだ。

「あ、でも…」
「お代は結構です」

 どんなときでも、素晴らしいことは起こるものなのだな。そんなチープなことを考えながら、すっかり幸せになってしまった。クロスさん、ありがとう。もうクロスのペンしか買わない。僕はもうずっとクロスを使い続けることにする。そう、永久使用だ! 
 
  =終=

 次回予告:2本目の万年筆 パーカー フライター75 スターリングシルバー

表紙の顔

ガッツ石松。映画監督、俳優、元ボクシング世界チャンピオン。現在上映中『五重塔』主演。ガッツさんには12日(土)シネマシティに舞台挨拶にいらっしゃっていただいた。「OK牧場!」だけでなく「OK農場!」も生で聴くことができて大満足。実はガッツさん映画監督としての顔ももつ。『カンバック』。阿部穣二原作、倉本聰脚本原案、そして音楽は久石譲という超豪華スタッフ。「ガッツ石松のホームページ」には、『カンバック2』乞うご期待、とあるが、とんと話は聞かない。ぜひ監督としてもカンパックしていただきたい。


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