ロード・オブ・ウォー

監督■ アンドリュー・ニコル(『ガタカ』)
出演■ ニコラス・ケイジ(『ナショナル・トレジャー』)
     ジャレット・レト(『ファイト・クラブ』)
     イーサン・ホーク(『トレーニング・デイ』)
公式HP http://www.lord-of-war.jp/index2.html
(C)2005 Film & Entertainment VIP Medienfonds 3 GmbH & Co. KG and Ascendant Filmproduktion GmbH

  映画史上初「武器商人」を主人公とした挑戦的作品。知性に覚えある人は必見。
 監督は物語に「哲学的命題」を持ち込める数少ない作り手の一人、アンドリュー・ニコル。主演はアクションからラブストーリーまで作品を選ばない「職人」ニコラス・ケイジ。ヴィジュアル面で脇を支えるのがジャレット・レトにイーサン・ホークだ。ライバル武器商人にイアン・ホルム。さすがの風格を漂わせ、好演。
 これは『スターシップ・トゥルーパーズ』以来のパンチ力ある戦争カリカチュアだ!  


 

 イルカは魚ではない。
 この言葉に何の違和感も感じられないとしたら、アンドリュー・ニコルの映画を理解することは難しいだろう。彼が毎度叩きつけてくる命題は「目を覚ませよ。イルカはどう見たって魚だろ?」ということだから。
 監督デビュー作『ガタカ』では遺伝子差別を使って、脚本を担当した『トゥルーマン・ショー』では大がかりなリアリズム番組を使って、『シモーヌ』ではCG女優を使って、彼は「浅薄な理解」を暴こうと試みてきた。今作もその刃に曇りはない。
 作品はしかし、あくまでも軽いノリを貫く。妙な重苦しさや過剰な悲劇性はなし。「涙」は時に問題の本質を洗い流してしまう。だからこれで問題ない。
 この作品が求めるのはDon't feel,Think(感じるな、考えよ)なのだ。



時間表はこちら
http://cinemacity.co.jp/webReservation/calendar.do

終了作品無し
 

開始作品なし

vol.3 <剛山式>映画の見方

   年内最終号、ということで今回は一つの映画を掘り下げるのではなく、僕が勝手に考えて実践している「映画の見方」の方法論を紹介。僕は自分でも物語を書いたりするので、そういう立場や観点に偏った「批評性」とは程遠いものであることは自覚している。だが、作り手たちが口をそろえたように「発表された時点から作品は受け取り手のもの。自由に解釈していい」というので、文字通りそうさせて頂いているというわけだ。
 ルールはただ一つ、論理が破綻していないこと。筋さえ通っていれば、どんな見方でも、それは成立したとみなす。…みなすってったって、自分で「良しッ!」と言うだけなんだけど。
 前説終了。さて、至極当然なことから話を始めさせてもらうが、小説や芝居や映画というものは(基本的に)細部にいたるまで誰かによって作られている。人物の名前から、年齢、職業、服装まで、全部そこには「理由」が、そして「意味」があるはずなのだ。
 例えば今年度アカデミー賞に最も近いと言われている『ブロークバック・マウンテン』はホモセクシャルを題材とした作品だが、彼らの職業はカウボーイなのである。これは「イケメン同士のカウボーイコスプレ」を見せるためにそうなっているわけではなく、「ホモ野郎はくたばれ」とか一番言っている「漢(おとこ)の中の漢」の職業、世間的にホモとかオカマとかと最もかけ離れていると考えられている職業だからこその選択なわけである。だからこの作品は「愛の普遍性」ということが問題になっているのではないか、と予想がつく。
 もう一つくらい挙げよう。ではやはりアカデミー賞有力候補『ミュンヘン』の監督、スピルバーグの作品『ターミナル』での主人公トム・ハンクスの職業は何だったか? 答えは大工である。何故か? あの「空港」はそのまま「アメリカ」に見立てられており、ロビーには世界的なチェーン店がずらっと並んでいる。それらはどこも「画一的な工業製品」ばかりを販売している。その真逆の人間とは? 「自分の手で何かを作り出せる人間」=「大工」というわけだ。こう設定することで「失われたアメリカ」を取り戻そう、という作品の意図を明確に打ち出している。
 さてここまでは一般的なことで、最低押さえておかなければいけないことだ。分析にかかる前に取りそろえておかなければいけない素材集め。そして、この後から、誰に習ったわけでも、本で読んだわけでもない、僕の勝手な理論となる。最初に言っておくが、穴だらけのつっこみ放題だ。
 僕は映画を「考える」とき、3つの点について思いを巡らせることにしている。

1 テーマ(主題)
2 マテリアル(素材)
3 モティベーション(動機)

  例えば誰もが知っている映画『スターウォーズ』を例に挙げるならば、

1 活劇に満ちた叙事詩を語る
2 未来的宇宙
3 父親との確執

  と言ったところか。だからこの映画は本質的にはSFじゃない、とわかる。「未来的宇宙」という素材を使って「叙事詩、英雄譚」を作る、ということが主眼であって、科学的空想を元に問題を提起する、ということは全然やってない(もちろん現実社会のカリカチュアたる、ということはあるだろうけど)。
 そして3については割と有名な話で、ジョージ・ルーカスは父親と相当仲が悪かったらしく、作ってきた作品のほとんどで「父性の抑圧からの脱出」を扱っている。つまり、これが彼の「創造の秘密」なわけだ。創造とは復讐の代理行為である。この3こそが、作品の「核」となる。あなたが、もしいずれかの監督の「ここ」に感応したなら、その監督の最も出来の悪い作品を観ても心に響くものがあるはずだ。

 映画の紹介文などを読んでいると「この作品のテーマは○○です」という文章に必ずあたるが、そこに違和感を感じたことはないだろうか? 「テーマ」という言葉は広すぎて、それはよく二重三重に使われている。おそらく無自覚に。これでは映画の本当の意味にたどりつくことはない。「愛」とか「反戦」とかよく使われがちだが、間違ってはなくても、誰であれそういう壮大な問題で作品は作らない。もっと「個人的な問題」に基づいて作品は作られる。「ドラマ」を作るとはそういうことでしかありえないはずなのだ。「管理社会の恐怖」なんていうのが「テーマ」であっても、その「恐怖」はそれこそ「両親からの圧迫」や「学校生活との不和」が基になっているはずなのだ。作り手のそこを突かないと、理解は表面的にならざるを得ない。
 それを整理するために3つに分けるということが「剛山式」のミソだ。もう一つ例をあげよう。僕が高校生の時から崇拝しているラース・フォン・トリアー監督の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』。

1 異なるジャンルを衝突させて生まれる新しい表現の開拓
2 無垢な女性の自己犠牲(ないしは芸術家の矜持)
3 理解されない自分、受け入れられない自分

  ここでもテーマは、つまりこの作品の一番の目的は「新しい表現の創出」であり、まずそれありきで、その次に、監督の強烈な自己の投射である「純粋な魂」が徹底的に痛めつけられるという物語が出来上がっている、というわけだ。そして、その数々の不幸にあっても、芸術は(この場合音楽は)永遠の生命を持ち続ける、という3の裏返しの強烈な自己肯定が行われる。

  これが僕の考える「映画の見方」だが、いかがだろうか。1〜3のそれぞれをどうやって決めていくかは、場数を踏むことと情報を収集することに尽きる。特に3については推測もできないでもないが、資料にあたるのが確実だ。
  この分類を基に「設定」などの素材を使って「ストーリー」や「構成」に探りを入れていく。その辺はある程度パターン化されているので、それほど困難な作業でもない。「1000年も前にありとあらゆるストーリーは語り尽くされている」なんて言われるくらいだから。

 勘の鋭い方ならこの理論のいい加減さに気づいておられると思うが、まあ、そんなに厳密じゃなくてもいいじゃないですか。
  とにかく言いたいのは「テーマ」という言葉が複数の使われ方をしているということ。「作品の製作意図」「作品に込めたメッセージ」「作り手の問題意識(オブセッション等)」などを全部「テーマ」という一語で片づけられている現状に問題提起、ということで。
  一言で片づけられるほど、単純なモノじゃないはずなんだ、映画は。

  本年中は(短かったですが)ご愛読いただきありがとうございました。  来年もこの調子は崩さず、もう少しまともなメールマガジンを目指していきますので、どうぞよろしくお願いします。

 いよいよ締め切りが迫ってまいりました、第1回シネマカウンシル(詳細はこちら)。先週に引き続きトップを走りますのは『サウンド・オブ・ミュージック』。このまま駆け抜けてしまうのか。最後の番狂わせがあるのか。日々の動向から目が離せません。
 2位以下はほとんど同数で『ベン・ハー』『ゴッド・ファーザー』『アラビアのロレンス』が並び、1位との票差は15〜16票。会員数から考えますと、僅差も僅差、これら作品に投票の方も、あきらめるには早すぎます!
 正直、なかなかスクリーンでは観られない作品、という観点から言えば、『サウンド・オブ・ミュージック』はそうでもないわけです。やはりファンが半端じゃなくいらっしゃる作品ですから。そういう意味では『ゴッドファーザー』もそうですね。『アマデウス』は他に比べてずいぶん若い作品ですし、やはり機会がなかなかないのは『ベン・ハー』と『アラビアのロレンス』です。
  『ブロークバック・マウンテン』の登場でホモセクシャルブーム到来の予感です。ここは『アラビアのロレンス』でブームに先んずる、というのはどうでしょう?
 さあ、投票を!


  八王子に僕が住んでいた何年か前、JRの駅の改札口のすぐ脇にハンバーガーショップがあった。久しく行っていないので、今もまだあるかどうかは知らない。
 その日、僕は大学の帰りに一人、その店に立ち寄った。街がむやみに華やいで、行き交う人々はやけに幸福に見えた。なぜならその日はクリスマス・イヴだったからだ。
 長細く狭い店内は満席近くて、僕は店の隅の隅に、なんとか席を取った。手持ち無沙汰に店内を見回すと、そこかしこで恋人たちが、家族たちが、はしゃいでいた。僕はそれを穏やかに眺めていた。誰かが幸福なのを、苦々しく思う時期は、もう過ぎていた。
 そんな店内に、ふらりとその男は舞い込んできた。全身紺色の、ほとんど寝起きのまま外に出てきたようなくたびれたジャージを着た、太った男だった。その男は、片手に未晒しの紙袋を握っていて、無遠慮で不審な動きで、カウンターへ向かっていった。
 僕はその男を憎んだ。安っぽいかも知れないが、確かに店に満ちていた「悪くない空気」が掻き乱されていくのがわかったからだ。もちろん店の誰もが見て見ぬふりをしていた。こんなことで壊されたくなかったからだ。
  男はカウンターを通り過ぎ、よせばいいのに従業員用の扉の前に立った。男に悪気がないのは間違いない。だが彼がその扉を開けて、中に踏み込んだとき、起こりうることの不快さは容易に想像できた。店員の困惑した表情、そしてきっとその目の奥には、僕が抱いているのと同じ、蔑みの影がひそんでいる。
 「出て行け!」
 僕は強く念じた。だが男にそんな思いが伝わるはずもない。男はついにドアノブに手を掛けた。

  …だが、男はドアを開けようとはしなかった。代わりに男がしたことと言えば、驚くべきことに、ノブに握りこぶしほどの大きさの、ひもの付いたテディ・ベアを引っかけることだった。考えもしなかった事態に息をのんでいる間に、男はくしゃくしゃの未晒しの紙袋から次々と色とりどりのテディ・ベアを取り出し、今度はそのドアの蝶番にひとつづつ掛け、次にそのわきのトイレのドアにも同じように、ノブと、蝶番に掛けていった。
  客も、店員も、誰一人そのことに気づいている者はいなかった。そう、僕をのぞいて。そして男は、一度だけ自分の仕事を見渡すと、入ってきたときと同じように、ふらっと外に出て行ってしまった。開いたドアから舞い込んできた風に、ささやかな贈り物たちがわずかに揺れていた。
  過剰に感傷的なのはわかっていたが、それでも僕はそのとき、胸の奥でつぶやかずにはいられなかった。
「その人は、いつも赤い服をまとっているわけじゃない」

 3日遅れのクリスマス・ストーリー。新しい年が、素晴らしい日々でありますように。

表紙の顔 … 
役所広司。ついに『SAYURI』でハリウッドデビューを飾る。謙さんに続き、国際的俳優への道を歩みだせるか。年明けには『笑の大学』に引き続き三谷幸喜作品『THE有頂天ホテル』が控えている。
   

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