『マイアミ・バイス』が9月の頭に上映となるのに絡めて、監督マイケル・マンの最高傑作とも言われる『インサイダー』について書いてみよう。
マイケル・マンは、当時まだあまり知られていなかった「レクター博士」シリーズの『刑事グラハム/凍りついた欲望』(後に『レッド・ドラゴン』としてリメイクされた)でデビュー、次にロバート・デ・ニーロとアル・パチーノという二大俳優を共演させるという『ヒート』で名を挙げ、その後『インサイダー』を撮り、モハメッド・アリを描いた『ALI』、そしてトム・クルーズに殺し屋を演じさせた『コラテラル』というフィルモグラフィである。
作風は一貫して「男のブルース」とでも言うべきものを描いている。そもそもはTVドラマ『マイアミ・バイス』の作り手であり、アルマーニかなんかのスーツで決めて、フェラーリを乗り回す「スタイリッシュ刑事」を撮っていただけあって、映像も泥臭さのない、ざらつきつつも洗練された都会をビシッと描ける。
『インサイダー』は前作『ヒート』が現代の犯罪者と刑事を描きつつも西部劇を思わせる決闘だったのに似て、銃を撃つことも、殴り合うことも一切ないにも関わらず、やはり「男の決闘」が主軸となっている。
決闘の舞台はタバコ業界、そしてTV局だ。タバコに含まれるニコチンには中毒性がある、ということを内部告発した博士(ラッセル・クロウ)と、その告発の場を作った「60ミニッツ」というCBSの報道番組のプロデューサー(アル・パチーノ)を描く、実話である。
これがスゴイのは、当時まだ生々しさが残る事件を実名で扱っているということである。今週末『ユナイテッド93』という911事件を扱った再現映画が公開されるが、それに似ている。
そして、その生々しい事件から、一種詩的なまでの、安っぽい言い方でいえば「男の美学」的なストーリーを紡ぎ出しているのが見事である。実話を元にしながらも、こうして「作品」に昇華させる手腕は実に見事だ。例えばあなたなら「ライブドア事件」をどう「物語化」する? あんな事件じゃムリだ、というなかれ。やり方次第では『市民ケーン』にだってなる可能性はある。『インサイダー』で行っていることは、そういうことなのだ。
非常に興味深いのは、アメリカ映画で「男の闘い」というと、多くは「家族を守る」「恋人を守る」というのが大義名分になるところだが、この作品ではそうではない。むしろ告発のために、博士は自分はもちろん、家族の安全や将来をも犠牲にする。家族は家を出て行ってしまう。
この「覚悟」について、作品では多くを語らない。これが事実に基づくかどうか手元に資料がないのだが、博士は日本語に堪能で、番組プロデューサーとの打ち合わせを料亭で行い、「ししゃもと天ぷら定食」を注文する。おそらくマン監督はこのことで博士の中の「サムライ」を表現したかったのではないか。「義」や「忠」を、「私」や「生」より上位に置く武士道の精神をこそ、この博士の一見不可解なほどの「覚悟」を説明するにふさわしい。彼は日本語を学ぶ中で、この精神に影響を少なからず受けた、と暗に示しているのだろう。
…ただ、日本人が観るとラッセル・クロウが「ししゃも」と言うところで笑いを生んでしまい、そこに込められた意味を見失ってしまうのが残念無念である。
仮にそこで笑わなかったとしても、監督マイケル・マンは追い打ちをかけるように、クロウに「おネエさん、お銚子イッポンね!」と言わせるのである。ほとんどの日本人はここでノックアウトされてしまう。恐るべきシーンである。
さて、大いなる「覚悟」をしたとはいえ、博士は悩みに悩む。ポストに銃弾が入っていたり、娘が庭で不審人物を見たりするのである。警察を呼べば、警察の動きがおかしく、どこから洩れたのか、解雇された会社に呼び出され、守秘義務について脅迫的に念押しされる。毅然としているどころか、
感情的になり、酒に溺れたりもする。
この辺の揺れまどい、不安感、孤独感をマイケル・マンはシネスコの画面を独特に使って表現する。人物を極端にアップで捉えた上で、被写界深度が浅い望遠レンズを使用し背景をボカしてくっきりと浮き上がらせ、しかも不自然に端に配置するのである。ただでさえ横に長いシネスコ画面は、異様に広く空きが出来るアンバランスな構図となり、安定感が完全に失われるのである。これを会話の場面なら右端と左端に人物を置いて切り返すため、その効果は(TVスクリーンで観てもあまり感じられないのだが)強力だった。
そしてこの男たちの激しく美しくも、あまりに喪失の多い闘いを慰めるように、劇中では繰り返しクラシカルな声楽曲が歌われる。この旋律は哀切で、物語を何か詩的なものへと持ち上げる。ここからも、実話だからといって「リアル」に描くことだけが方法ではないことがわかる。
しかし、この作品の真の凄みは、「主人公の入れ替わり」とでも言うべき構成にある。いや、正確に言えば、アル・パチーノが最初から主人公と設定されているのは冒頭の中東での取材シーンからして明らかではある。だがしかし、タイトルである「内部者(告発)」からして、前半は博士の葛藤、苦悩、決意こそが主眼である。アル・パチーノはその導き手であり、サブキャラ的位置にある。
それが後半、博士のインタビュー撮影に成功し、あとは放送せんばかりというところになって、今度はCBS本社からの「弾圧」が番組クルーに降りかかってくる。ここから、あくまでも問題に対して「アウトサイダー」であったプロデューサーにポールシフト(極移動)が起こるわけである。なんという見事な二重構造だろう! 前半で辿った博士の感情の動きは、プロデューサーの内部で、同じように繰り返されることになる!
現実の事件から、この構造を見事にすくい取った脚本は、マン監督その人とエリック・ロスである。エリック・ロスは最近ではスピルバーグの『ミュンヘン』、他にトム・ハンクスの『アポロ13』、『フォレスト・ガンプ/一期一会』を手掛けた人。この作品群を見れば納得であろう。実際に起こった事からエッセンスを抽出し、物語の主柱を創造するのに抜群に長けた脚本家なのだ。
一転事件の「インサイダー」となったプロデューサーは、CBS相手に闘いを挑むことになる。彼が闘うのはただ「誇り」のためだ。
Are you a businessman? Are you a newsman?
長台詞と言えばアル・パチーノの、職業倫理についての大演説は痺れるほどに素晴らしいが、それも虚しく、番組は流されない。博士からの信用を失い、会社での立場もなくしたプロデューサーは、ついに新聞社に「内部告発」をする。
やがて番組が流された後、プロデューサーに妻が言う。
「あなたの勝ちね」
「ああ。でもその代償は?」
「誇り」が汚された今、結果としての勝利すら虚しく無意味である。プロデューサーは会社を去る。
彼らは何のために闘ったのか? その闘いからは得るものよりも圧倒的に失ったもののほうが多い。金銭、地位、安全、家族…。
「正義」のためだろうか? そんな美しい理由が全てではないだろう。映画は二人をヒロイックになど描いていない。迷い、あがく普通の人間だ。
それでも、「結果のヒロイック」は、厳然たる事実としてある。ここに、鈍くても消えることのない「栄光」が確かにある。マイケル・マンが描きたいのは、いつもこの微かな輝きなのだろう。
自己陶酔的、と断じるは容易だが、酔える男でありたい、と思う人も多いはずだ。そんな人と二人で、お銚子イッポン、ししゃもをかじりながら空ける夜の心地よさ。
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