「悔恨の男」と言えば、何と言っても高倉健さんです。もう一言自分の口から話をしていれば、人の誤解を招くこともなく、愛する人が去ってゆくこともないはずなのに、健さんはそんな時にも「不器用ですから…」と言って下くちびるを噛みしめてしまうのです。健さんを知らない方はどうしてその人はそういう行動を取ってしまうの? といぶかる方もいらっしゃると思いますが、それが「健さん」という人だから仕方がないのです。人に対してもうひとつ働きかけが足りないという不器用さでは私椿原もひけをとらないつもりなのですが、これがかっこいいで通るのは「健さん」だけです。なぜなんですかね? 同じ不器用なら私も健さんに引けは取らないはずなんですけど。
最新作『単騎、千里を走る。』でも健さんはアクションが足りないばかりに、息子と断絶している父親を演じています。しかし健さんもさすがにお年を召したのか、遅ればせながら息子のために中国へひとり渡るという大きなアクションを起こします。でも健さん今回はけっこうしゃべるんですよ。やはり不器用ですから自分の気持ちをモノローグという形としてですけど。
その中国で図らずしも父親と引き離されている少年と言葉は通じないのに心を通わせることになるのです。ああ、もっと早く自分の息子ともこうしていれば…。とは口に出しませんが、健さんの顔に書いてあります。やはり健さんあくまでも「悔恨の男」なのです。いよいよ3月3日まで。
ふつう「悔恨」と言えば「若気の至り」でやったことが原因のほとんどだと思うのですが、これがこと恋愛に関してとなると胸がしめつけられる『サマーストーリー』のような物語になります。主人公の青年アシュトンが卒業旅行で立ち寄った土地でめぐり合ったのは、農家の娘ミーガン。都会のけがれがなく清純でエネルギーにあふれているミーガンと愛し合うようになったアシュトンはお互いの身分が違うことをどうしても切り離せず、当然のように駆け落ちという話になるのですが、これからがまさに「若気の至り」。アシュトンがミーガンを何よりもまず第一にという行動を取らなかったばかりに、この若さゆえの激しい恋は悲劇的な結末を招いてしまうのです。
その美しいままで悲劇的な結末は、映画をご覧になっていない方のために伏せますが、この映画の原作になったジョン・ゴールズワージーの短編小説「林檎の樹」には「あの頃、僕は 20 歳だった。青春が美しいなんて、僕は誰にも言わせない…」という記述がありますが、映画を見たあとにこの表現に触れると若かりし頃の自分の恥ずかしい振る舞いの数々、そして後悔しても二度と取り戻すことができないことがあまりにも多すぎることを思い出してしまうのです。若い頃はバカをやるものです。でも自分があの時どうしてあんなバカをやってしまったのだろう。と考えることができるのはもう自分が若くなくなってからなのです。ということは私椿原はもう若くない !? こんなこと書くんじゃありませんでした。
また、映画館で会いましょう!
サマーストーリー
1987 年イギリス映画
監督 ピアス・ハガード
出演 ジェイムズ・ウィルビィ
イモジェン・スタッブス
音楽 ジョルジュ・ドルリュー
DVD発売中
TBD1120
¥3,990 (税込)
発売・販売元(株)東北新社
(C)1987 ITC,All Rights Reserved. Licensed by Granada International Media Itd.
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