(ネタバレあり)
あまりスピルバーグのことばかり書くのもなんだけど、『ミュンヘン』はまぎれもなく傑作であり、それに触発されて『ターミナル』についても書いてみたくなった。とりわけここ何年かのスピルバーグ作品は「読み込む」に足るもので、つまらないといっている人は「読めて」ないことが多い。いっぱしの評論家でも、例えば『A.I.』のような奇跡に近い傑作も読み間違えて「ピノキオ」としてとらえてしまう。
「他人の心の中を、直接知ることはできない」 という初歩的な哲学の命題を当てはめれば、夕立があがるようにさあっとあの映画が「読めて」くるんだけどなあ。
…さて、話を戻そう。『ターミナル』はロマンティック・コメディとして、それだけでもなかなかの出来ではあるんだけど、そこだけを見ても全体は見えてこない。むしろロマ・コメであることは全体の戦略のコマの一つである、とも言えなくもない。
『トゥルーマン・ショー』の脚本、『ロード・オブ・ウォー』の監督であるアンドリュー・ニコルなんて曲者が原案で参加しているところからも、単純な映画なわけはない(設定がすでにかなりひねっているけれども)。
まず、舞台となる空港だが、入っているショップがこれ見よがしに映される。STARBUCKS COFFEE、DEAN & DELUCA、BORDERS、HUGO BOSS、Burger King、そして吉野家まで…。どれも世界的に進出している大企業ばかり。That's資本主義。アメリカへようこそ、というわけ。
もちろん世界中の人間が集まってくる場所、という意味も込められている。とにかくここはミニチュア化されたアメリカそのもの、という設定だ。
そこに登場するは、東欧の小国から来たアナクロニズムな男。オートメーションで画一的な「アメリカ」と真逆の男。彼はなんでも自分の手で作れてしまう。ブランドに頼らない。
ただ、ここで一点注意しておかなければいけないのは『ファイト・クラブ』との違い。あの映画では大企業をバンバン破壊し(最終的には、それどころじゃないけれども)、清潔で気取った去勢社会にFuck you!を叫んでいたけれど(そういえばあれもひねったロマ・コメだったなあ)、『ターミナル』はそういうものを単純に攻撃しているわけではない。そこは間違えてはいけない。
で、この主人公は掃除屋さんたちと仲良くなっていくのだが、型どおりそういう仕事に従事しているのはインド人に、メキシコ人に、黒人。こういうマイノリティで貧しい人々から徐々に、化学反応を起こしていき、その後冷たく見えたショップの店員たちが変わりはじめ、最後対立する価値観の大本とぶつかる、というのは教科書的展開。きっちり決まっている。
さあ、そしてここからが、ひとひねり利いているところ。そうあの「ジャズ缶」だ。もしこの映画を単なるロマ・コメと見るならば、彼女とのビターな別離があって、祖国に戻れるとなってからのエピソードは不要になってしまう。「ジャズ缶」もいらない。
では「ジャス缶」とは何か? が、このコラムの主題である。…と大げさに言ってはみたものの、特別な秘密があるわけではない。見た目そのまま、あれは「ジャズエイジ」の象徴ということだ。つまり、アメリカの黄金時代、1920年代の復古。これが『ターミナル』のメッセージなのだ。トム・ハンクスは、アメリカの黄金時代を探しに来ていたというわけ。
このファンタジックな物語にあって、監督がこだわったのは「現在のアメリカ」と「黄金時代のアメリカ」をきっちり「現実のもの」として描くこと。単なるおとぎ話で終わらせず、現実と結びつけること。
だからベニー・ゴルソン本人を出したのだ。彼は今も演奏を続ける本物のサックス吹き。確かにあの古い写真の時代は、今や失われたものだ。だが「死に去ってしまった」わけではない。アレンジは変わったかもしれないが、今もそのメロディは流れ続けている。
それをはっきりと聴かせることでしか、伝えられないことがある。
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