(C) 2005 by Paramount Pictures.
 エリザベスタウン
 監督 キャメロン・クロウ(『バニラ・スカイ』『あの頃ペニーレインと』)
 脚本 キャメロン・クロウ
 撮影 ジョン・トール
 音楽 ナンシー・ウィルソン(『バニラ・スカイ』)
 出演 オーランド・ブルーム(『ロード・オブ・ザ・リング』)
    キルスティン・ダンスト(『スパイダーマン』)
    スーザン・サランドン(『ムーンライト・マイル』)
 公式HP http://www.e-town-movie.jp/
『ロード・オブ・ザ・リング』の美しいエルフ役で世界を魅了したオーランド・ブルーム初の現代劇。もはやベテランの域に達したキャメロン・クロウ監督が、50〜60年代の映画を意識しながら爽やかなロマンティック・コメディを作り上げた。
 画期的なデザインの新製品で、巨大シューズメーカーを倒産に追い込んだデザイナーの元に、父親の訃報が届く。葬式のために戻った「エリザベスタウン」
で、様々な人間との交流を通して、多くのものを失った男が、自分を取り戻していく。

 

監督キャメロン・クロウと言えば、故ビリー・ワイルダーへのロング・インタヴュー本を作るほど50〜60年代のコメディに傾倒していることで知られている。
この作品でも劇中のTVなどで、クラッシックムービーが何本か流れる。
  父親と母親の出会いがエレベータの中だとか、大げさに巨大な会社の描写だとか、これは明らかにビリー・ワイルダーの大傑作『アパートの鍵貸します』へのオマージュ。

  この辺を意識して観ると、一興。



時間表はこちら
http://cinemacity.co.jp/webReservation/calendar.do

『蝉しぐれ』
『コープスブライド 字幕・吹替』
『キャプテン・ウルフ 吹替』

 

『奇談』
『フォー・ブラザーズ/狼たちの誓い』
『同じ月を見ている』
『大停電の夜に』

復活
 最近、自転車に乗る事が多い。とは言っても、いわゆるママチャリってモノではない。僕が乗るのはロードレーサーってやつである。(あのハンドルのとこがくるっとなってるやつである)なぜ、そんな自転車に乗っているのか?それはある自転車選手への憧れからなんである。
 その選手の名はランス・アームストロング。自転車レース最高峰と言われている、ツール・ド・フランス7連覇を今夏達成した人物。彼の偉大なところは、7連覇という前人未到の記録の他に、生存率10%以下と言われた癌を克服しての勝利というところ。ただですら癌を克服する事は大変な苦労。彼はそれを完全に克服した上でツール・ド・フランスを圧倒的な力の差で7連覇した。カッコイイのである。憧れるのである。何事にも負けないその精神力の強さ。ぜひ、僕も身につけたい。その一心で自転車を購入したと言っても過言ではない。
 そんな中、映画『カーテンコール』に感激したという青年が、はるばる九州から映画の宣伝をしながら、自転車で東京を目指しているとの情報が入った。その青年の名は樽見謙慈郎君。彼はまたここシネマシティに立ち寄るとの事。これはまたとないチャンス。日頃の精神鍛錬を試すのだ!
11月某日、彼は遠路はるばるやって来た。
 夜も更けていたということもあって、翌日に次の目的地・代々木上原(この企画のゴールでもある)を目指すとの事。勇気を出して聞いてみた。
ワタシ「あの〜一緒についていってよろしいですかね?」
樽見君「いいですよ。」
 翌日、チラシをシネマシティの前で配布し番宣。このコラムの担当・デレク氏と剛山氏と4人でチームを組み、いよいよ出発だ。気持ちが高まる。気分は、まさにツール・ド・フランスに出場していた。誰にも負けない。この時、確かに僕の前にはアームストロングが見えていた。「絶対に逃がさないぞ」「負けないぞ」いわゆるアシスト選手である。
 府中を通り過ぎた。やはり彼には勝てなかった。僕のアームストロングは遙か彼方に遠のいて行った。アマチュア選手に付き合う程、彼も暇ではない。限界だ。軽はずみに伴走したいなんて言うんじゃなかった。僕は後悔と反省の中走っていた。毎回の信号待ちでぼやく。そのたびに樽見君は「おもしろい人ですね〜」と話しかけてくる。僕はおもしろい人じゃないんだ。ダメな人間なのです。
 自転車はペダルを踏むと前に進む。この原理に基づき僕はゴールに到着した。ここで、我々3人(デレク氏と剛山氏と僕)は当たり前と言えば当たり前の問題に遭遇した。樽見君はゴールしたのである。この企画自体の。これは問題だ。言い換えれば、かのチャールズ・リンドバーグが大西洋単独無着陸飛行のゴール直前にヘリコに乗った我々が一緒にゴールしたようなものだ。かのヴァスコ・ダ・ガマが・・・。申し訳ない気持ちで一杯だ。そしてなんだか恥ずかしい。配給会社のご好意で『カーテンコール』のプロデューサーにお会いできた。直々に宣伝の要請も受けた。でも我々3人は、恥ずかしさ先行逃げ切り。正直この時の記憶はあまり無い。かろうじて憶えているのは、用意していただいたお茶も飲まずに退散してきたくらいである。この時の我々に心のカーテンコールを受ける余裕など無かったのである。そして、我々は反省の中、来た道を帰って行った。

 『カーテンコール』は当劇場で絶賛上映中。ぜひご鑑賞下さい。

樽見君のブログ http://yaplog.jp/jirodiario/

春の雪

 中学2年のころ、国語の先生が型破りな人で、五木寛之『青年は荒野をめざす』を教科書代わりに使った授業があった。14歳の幼気な中学生に五木寛之を読ませて、あの先生は一体何を伝えたかったのかはわからないけれど(実際、なんとなく面白かったって記憶はありますが、内容をきちんと理解していたかというと、それはまったく疑問なわけです…)、以来、五木寛之が僕の愛読書、言ってみればアイドルになった(ちなみに歌手では松田聖子と松本伊代が好きでした)。そして五木寛之といえば『青春の門』。もちろん、ワタシのバイブルになった。シンスケしゃんみたいにオレも東京の大学に行くんだ、と思ったものであります。
 高校に上がるころになると、デビューしたばかりの村上春樹がワタシの前に現れる。『風の歌を聴け』と比べると、『青春の門』はとても古くさく思え、何の未練もなく宗旨替え(ちなみに五木寛之はそれ以来、今に至るまでほとんど本を開いたことがありません)。以来、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』がバイブルになったのは言うまでもありません。
 その後、シンスケしゃんのように、東京の大学に入るために地方から出てきたワタシの前に、三島由紀夫『春の雪』が現れる。きっかけは友人に、なんだ読んだこと無いの?だったら読まなくちゃ、と薦められたから、だったと思う。素直なワタシはすぐ、大学生協に新潮文庫を買いに行った。そして真っ先に解説を読んだ。翌日だったか友人に、『春の雪』を買ったこと、そして解説を真っ先に読んでしまったことを告白したところ、だめだな、おまえは、台無しだろ、それじゃ、というような主旨のことを言われ、しようもないやつ扱いをされたのを、昨日の事のように覚えている。
 以来、解説を先に読むという行為はしないことにして、今日まで守っているのだが(当たり前といえば当たり前なのですけれど、覗き見感覚というか、怖いものみたさというか、解説やあとがきって、最初に読みたくなるんですよねぇ…)、とにかく、当時、村上春樹の『ノルウェイの森』が好き、なんて言うよりは、三島由紀夫の『豊穣の海』4部作の中でも『春の雪』は最高、なんて言えた方が断然カッコよかった。今でもやっぱりそう言う方がかっこいいような気がするけれど、何はともあれ、そういうことを言っている友人が大人で輝いて見えた。自分がモノを知らない子供に思えた。ちょっと悔しかった。
 『春の雪』は好むと好まざるに関わらずとてもヴィジュアリスティックで美しい小説です。個人的に今まで読んだ数多の小説の中でも5本指に入ります。だからこそ、どうしても観られないんですよねぇ、『春の雪』…。竹内結子はキライじゃないんだけどなぁ…

向こう三軒両隣り

 このコラムではお客様の支持数とか関係なく見るお客様の血となり肉となるいま見て欲しいすすめ方スタイルで新作映画にふれつつ、A級からZ級までこちらも境界線なく紹介した新作に縁のある映画を紹介して参りたいと思います。私がいい映画だったからあなたにとってもいい映画という無理やりなお話はしません。このコラムを読んでいただいたことで、見るつもりのなかった映画にも手をつけていただければ幸甚です。

 まずは「カーテンコール」(12月2日までの上映予定)。昭和30年から40年代に下関の小さな町にある映画館で映画と映画の幕間に形態模写やギターを弾いて歌を歌っていた芸人を探し出すというお話なのですが、実はそのお話は映画の軸になっているだけで、その芸人と離れ離れになった娘を引き合わせてあげようと赤の他人が奔走するところにこの映画のすばらしさがあるのです。
 あまりここで書いてしまうと映画の内容に触れすぎてしまうのですが、芸人の居所を探るタウン誌記者はこのことで仕事にかまけて疎遠にしていた両親の存在を大切に思うようになり、他にもこのエピソードに関わることでそれぞれの人生が浮かび上がってくる人たちがたくさん出てきます。
  佐々部清監督はそれらを実に正攻法で真摯に描いていらっしゃいます。これが時にはセリフがクサいとか、話が地味だとか見てる間に考えちゃうかも知れません。でも最後まで見ていただければこの映画はどこが素晴らしいのか、これは見ていただくしかありません。
  この映画に感激して何をトチ狂ったか下関から自転車で出発した樽見謙慈郎君という19歳の青年が経路の映画館をまわりながら 2 週間以上かけて東京までやってきたのも映画を見ればうなずけるかも。(一応東京ゴールは何と!このシネマシティ。到着予定時間を 2 時間近くもオーバーしてたどり着いた彼は肩で息してました。詳しくは樽見謙慈郎の東京行っちゃうぞ!『カーテンコール』勝手に応援中  http://www.raywerk.com/tarumi/ をご覧下さい)。

 吉岡秀隆君の「お前と俺とは赤の他人なんだよ」が流行語大賞は無理でも名セリフにはなりそうな、『ALWAYS 三丁目の夕日』。同じ昭和30年代を舞台しにしても『カーテンコール』は苦戦しているのにこちらは大ヒット中なのは、実景撮影とVFXを巧みに組み合わせて再現された昭和33年の風景が魅力を放っているからかもしれません。
この映画で描かれるお話もどってことないといえばどってことないのですが、小さな集落で地道な生活を送る人々がこれから成長しようとしている東京の発展に期待を寄せながら夢を持って働き、他人の世話を家族同様に焼いてやるエピソードがいちいち涙腺を刺激します。この映画に感激してしまうのは実生活で家族や他人との絆をもう少し深められる時間があればいいなということの裏返しかも知れません。
  とてもお金がかかってそうな映画ですが「モノはあふれていなくても人のつながりで毎日が楽しかった」それこそを見て帰らないとただのアトラクション映画にもなりかねないのですが、回顧主義だけでこの映画はつくられているわけでないということはおわかりいただけると思います。この映画の軸になっている主人公はみな若い人たちです。これからという人たちこそがこぞって見に来て欲しいのです。

  『エリザベスタウン』も事業に大失敗した青年が、父親が死んだので父親の故郷をたずねてみたらそこは向こう三軒両隣りだったというお話で、3本の映画には共通したテーマが存在しています。きっかけは父親が与えてくれるのですが、お話をナビゲートしてくれるのは風変わりなフライトアテンダントで赤の他人。
 ちょっと冗長な部分もありますが、キャメロン・クロウ監督はユニークな他人を次々と登場させて、人と人と関わり合いの楽しさをこれでもかと見せてくれます。バックに流れる60年代ポップスをはじめとしたあふれんばかりのナンバーが「こんな時代だからこそ」とナレーションしているみたいです。加えて絶品はスーザン・サランドンのコメディ・スピーチ。これだけ見るだけでもお釣りがくるつもりで見てください。

また映画館でお会いしましょう! 

宇宙戦争の真実

【ネタバレあり】

        

 「シーキズム」で映画を語るとき、それは観たことを前提にする。このコラムの目的は「奇妙な観点」の提案であり、映画の紹介でも、評論でもないからだ。言い換えれば僕の妄想だったり、勘違いだったりするわけで、間違ってもここに書いてあることを他人に話すのはやめたほうがいい。ただ、この妄想にはそれなりの根拠があり、ロジックがある。だまし絵のように、知ってしまうと、そうにしか観られなくなることはあるかも知れない。

 DVDの発売を記念して、今回は『宇宙戦争』について語ることにする。…でもこの作品、あんまり良い評判を聞かない。おかしいなぁ。僕、体がけいれんするくらい興奮したんだけど。
 ラストが盛り上がらないとか、そういうことは置いておいても、あの、地面からトライポッドが出現して襲撃してくるところはヤバいでしょう。あそこのたたみかけるような展開は『プライベート・ライアン』の冒頭の凄まじい戦闘シーンに匹敵すると思う。あえて(だと思うんだけど)原作に忠実に3本足兵器を登場させ(前の映画化ではUFOタイプに変えていた)、さあ笑えるものなら笑ってみろ、と。時代遅れとかおマヌケとか言えるものなら言ってみろ、と。圧倒的な恐怖を味合わせてやる!! …と、こういう高らかな宣言が聞こえてくるような場面だ。

 さて、もうすでにこの時点で映画代1800円はペイされたわけだが、僕の話はまだ始まってもいない。
 この作品は、ナレーションから始まる。これが言いたいことの最初であり、結論でもある。すなわち全てであるということだ。
 ナレーション、つまり「語り」とは何か。シンプルに言うと「語り手」がいること。当たり前である。「語り手」というのはその定義上、語られる物語の、時間的にも空間的にも「外」にいる。語り手が登場人物のうちの誰かでなければ、その性格はますます強まり、物語は物語性を増す、ということだ。…ちょっとわかりづらいかな。すごく噛みくだいて言うと、誰とも知れない人が、映画や小説の頭で「語り」始めたら、それは「おはなし」だってこと。「おはなし」ってのは何か伝えたいメッセージを登場人物とか状況に例えて、わかりやすく作られたもの、と大まかに考えていい。だから象徴的な性格が強い。昔話、神話、童話、民話、故事、こういうのは「現実味」は度外視で、伝えたいことが優先される。絵本のほとんどが三人称(語り手がいる)なのはこういう理由だ。

 『宇宙戦争』の冒頭はミクロの世界から始まる。そこから段々とズームアウトしていくと、一粒の水滴になり、それに地球のイメージが重なり、次にそれは赤信号に変わる。このときに、モーガン・フリーマンによる「語り」が被さるわけだ。言っている内容はどうでもいい。原作の一節をただ読んでいるだけだから。大事なのは「語り手」がいる、ということ。この一点を覚えておけばいい。ほぼ同様に幕開ける『ファイト・クラブ』との違いは「語り手」が登場人物ではない、ということ。つまりこれは「おはなし」だ。
 宇宙人が襲ってくる話なんか、最初から「おはなし」以外のなんでもないだろ、と思われるかも知れないが、ここでは形式とか語り口のことね。内容じゃなくて。すごくわかりやすい例を挙げると、オーソン・ウェルズという俳優がこの原作(「宇宙戦争」)をラジオドラマで演ったことがあるんだけど、そのときは冒頭をニュース番組の速報という形で始めた。それがあまりに真に迫っていたので聴いた人々が現実のことだと思ってパニックになったのは有名な話。これが「現実的」な語り口のほう。
 ということなので「何で100万年も地下にいたんだ?」とか「ビデオカメラが動くのはおかしい」というのは野暮ってものだ。浦島太郎は海中で呼吸はどうしてたんだ? とかいう類いの質問と同じ。意味がない。頭が悪いと思われるので気をつけよう。
 さてそれを踏まえて、監督は、宇宙人の襲来を現実の「戦争の記憶」で紡いでみせる。灰まみれのトム・クルーズ、あふれかえる人混みの中であちこちに貼られた人探しのチラシなどは、忘れ難い「9・11」の映像。空から降ってくる衣服は、ホロコーストを想起させ、川を流れる無数の死体は広島の悲劇を思い出させる。この「おはなし」は現実の戦争についてのものだということがわかる。しかも、軍とか政府の視点ではなく、一市民の視点から描いたものだ。21世紀型の、国家間ではない戦争の姿が明示される。
加えて、はっきりと強い主張を行っているのが「間接描写」だ。主な惨事はこの作品において、鏡や窓ガラスの反射、カメラの映像など「間接的」に描写される。
 そう、われわれは「戦争」を直接など見ていない。常にTVや写真を通してイメージを作り上げる(あるいは作られる)ことに慣れてしまっている。今、こういわれて、「そういえば、あの映画そういうふうになってたな」と気付いた人は、すでに毒されきっていると言っていいだろう。違和感を感じなくなっているのだ。
劇中、人の話が聞こえない(耳を悪くした)マスコミの一員が登場するが、これは「聞く耳持たない」ことの露骨な表現だろう。露骨といえば、墜落している飛行機というのも露骨すぎるほどだ。

 さて、結論を急ごう。最初のほう、ダコタ・ファニングの台詞「トゲは自然に出てくる」。これが取っかかりになる。
 原作は百年も前の古典、オチはあまりに有名だし、映画も始まりからバラしてある。当時の執筆の意図は何だったか。帝国主義的世界情勢への批判?
 詳しくは知らないが、今作の意図は驚くべきものと言わざるをえない。結論にたどり着くための要素は3つ。一、「ナレーション」。二、「戦争の記憶のパッチワーク」。三、「細菌」。
 二つ目の「戦争の記憶のパッチワーク」からこの「おはなし」が現実の戦争を扱ったものだということはわかった。宇宙人とは“襲い来るもの”の暗喩である。それが地下に潜んでいたことについてはいろいろ臆測を呼ぶところではあるが、話が長くなるので触れずにおく。例えば「人類というものにア・プリオリ(先天的)な資質」とかは容易に考えられるところだけど。…だとすると今までにも何度かヤツらは地表に現れてきていただろうな。
 で、ダコタちゃんの言うとおり“トゲ”は「細菌」によってやられちゃうんだけど、ここで、あぁ、原作に忠実なのね、と思考停止する人が多いんだよなぁ。でも違うんだ。この話はそもそもは「どんでん返しオチ」だったわけで、実は今回もそうなっているのだ。

 ズバリ一言で結論から言う。この作品がたどり着いた答えは「戦争も大局から見ればただの自然の一摂理」。これだ。吃驚。アメリカの娯楽映画が、ついにそんな境地に?
 映像から検証していこう。息子は生きていてよかったものの、元妻には見向きもされないほろ苦いドラマ的決着を迎えた後、世界はまた、冒頭と似たように一粒の星屑へと収斂[しゅうれん]され、茫漠たる銀河に紛れ去ってしまう。そこでは「地球」すら一細菌でしかない。
 実は僕らは、こういう世界観を子供の頃から知っている。なぜか? 日本には手塚治虫がいたからだ。僕らは『火の鳥』によって、何度もこの考え方を刷り込まれた。素粒子→原子→細菌→細胞→生物→地球→銀河→銀河団→超銀河団→宇宙…みたいな入れ子というのか無限マトリョーシカ人形というか、そういう「構造」の中で、戦争で何人死にました、ということと、すりむいたヒジから入った菌が免疫にやられて死にました、ということと、本質的に何が違うのか、と。それは道徳的に「言ってはいけないこと」だけれど(だからアメリカ人が言うなよ、とこういう議論はあるにせよ)、ある「正しさ」は確実にあるわけだ。

 ついにアメリカ映画が、(この手のテーマで)手塚治虫にまで追いついた、これは記念すべき作品と言ってもいいのではないか。そして今リメイクの際、制作者たちが仕掛けたトリックとは「主観の変更」によって作品の意義を転化するという精妙かつ大胆な、恐るべきものなのである。原作は主人公のルポタージュの形式を取っていた。だが、今回の「語り手」は誰だ?
 
 手塚はそれを「火の鳥」と呼んだ。あなたが何と呼ぶか、もちろんそれは自由だ。

 ついにメールマガジン、始めてしまいました。ほとんど嫌がらせに近いこのヴォリューム。
 今回は創刊記念ということで、コラム執筆陣全員を集めてみました。
 上映時間などの必要情報はほとんど折り込まず、それどころかコラムなどもはや映画と関係ないものすらあるという、この大胆な編集方針。みなさんの思いこみを華麗に裏切っていき ますので、よろしくお願いします。

表紙の顔 … 

重度のガンを克服し、世界最高峰の自転車レース「ツール・ド・フランス」において史上初奇跡の7連覇を遂げた男、ランス・アームストロング。先日歌手のシェリル・クロウと結婚した。

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